『春萌す方』 恣意 セシル

 とある寒い寒い日の夜明け、国中に、ばたん、という大きな音が轟きました。
 眠っていた人も起きていた人も、これから寝ようと思っていた人もみな表へ飛び出して、まだまだ暗く、朝の萌しが見えない空を見上げます。
 きらりと一筋二筋、やがて沢山の流星群が空を埋め尽くし、東の空の彼方には燃えさかるシリウスのような青白い光が見え始めました。それは薪を投げ入れられた暖炉の炎さながらに揺らめきながら大きくなったかと思うと勢いよく燃え盛り、あっという間に小さくなってすぐに消えてしまいました。
 そうしてまた真っ暗になった空を茫然と眺めていた人々は、ふと夢から醒めたようにして「冬が終わった」と呟き、またしばし、ぼんやりと空を見上げ、そして今度は大きな声で「冬が終わった!」と叫びました。
 冬の扉――それは冷たい風や雪のつぶて、空さえ凍らせる冷気を始終吐き出していました――が閉ざされ、永い永い、いつ終わるとも知れぬ冬が終わりを迎えたのです。


「にいちゃん、にいちゃん、起きて。ねえ!」
 そうして、この国の外れにある、とある小さな村の食器職人の家で幼い少年が眠りから目を覚ましました。
「……なんだよ、ユゥトゥ。まだ起きる時間じゃないよ」
 その少年――ユゥトゥに起こされたのは、彼の五つ上の兄、ムゥルゥです。
「なんかね、おっきな音がしたあとに空がぴかっ! って光ったんだ。それでね、なんかね、空気がちょびっとだけ、あったかくなったんだよ!」
 突然起こされて不機嫌なムゥルゥに向かって、ユゥトゥは身振り手振りを大きくして今自分が聞いたこと、見たことを説明します。
「大きな音? 光って? あったかく……?」
 眠りから醒めきっていない頭で、ムゥルゥは幼い弟の言葉をオウム返しに呟きます。そしてぴんときたのでしょう。布団をがばりとはね上げて立ち上がりました。
「春だ! ユゥトゥ、春が来たんだよ!」
 突然の兄の行動に、幼い弟は目を白黒させました。
「春ってなあに?」
「あったかくて、綺麗な色の花がたくさん咲く季節だよ。とげとげした木の枝が、ぴかぴか光る緑の葉っぱでいっぱいになるんだ!」
 冬は二年以上、彼らの国に居座っていました。まだ五歳にもならないユゥトゥの記憶に春が存在しないのは致し方ないことですし、そんな弟に素晴らしい春を教えてやれるのはムゥルゥにとってとても嬉しいことでもあります。ユゥトゥもまた、白い雪の色と枯れ枝の茶色、凍りついた青暗い色の空しか知らなかったものですから、そんな色とりどりの世界がやってくるなんて想像もつかず、大好きな兄の言葉に心を躍らせ、楽しみでしようがなくなってしまいました。
「すごいや、それ! ぼく、早く見たいなあ」
 絵本の中でしか知らないチューリップやアネモネ、ラナンキュラスを、本当にこの目で見られたらどんなにすてきでしょう。
「ねえ、いつ? 春はいつやってくるの?」
 ユゥトゥはそう言って、兄に春の訪れがいつ頃になるかを尋ねますが、そうするとムゥルゥはたちまち困ってしまいました。
「それがね、ユゥトゥ、いつ春が来るかなんて、誰にもわからないんだ」


――続きは本誌でお楽しみください――

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