『宵闇喫茶』 なな

 男は暗闇の中を歩いていた。
 自身の胸元から伸びる、細く白い光の指し示す方向へ向かって。
 足元すらはっきりと見えない、本当に真っ暗な闇の中を、ただただ進み続けていた。
 いつしか、胸元の光の先に別の光が見えてきた。暗闇の中、ぼんやりと浮き上がるような朧げな光。それは、ずっと遠くにあるようにも見えたし、とても近くにあるようにも見えた。
 男は無心に歩き続けた。どのくらいの時間歩き続けたのか、どれだけの距離を歩いたのかすらわからなかった。気付いたとき、その光は目の前にあった。
 自身の胸元から伸びる光は、その光の中へ吸い込まれている。男も後を追うように、その中へと踏み込んでいった。あまりの目映さに目を閉じると、どこかでからんっからんっ、と音が鳴った。
 次に目を開いたとき、男は見知らぬ建物の中にいた。
 後ろを振り返れば、焦げ茶色の木造扉があり、上の方には銅色の小さな鐘がぶら下がっている。光の中で聞いた鐘の音色が思い出された。
「ちょっとだけ待ってくださいね〜」
 その思考を分断するかのように、少女の明るい声が店内に響き渡った。続いて奥から声の主であろう、中学生ほどの少女が現れる。黒いワンピースに白いエプロンを纏い、頭に白いフリルを付けている。
 男の前に来るとにっこりと微笑んだ。
「いらっしゃいませ。『宵闇喫茶』へようこそ!」
 男は一瞬瞠目したが、少女が発した言葉と、エプロンを着けていること、横手にカウンターと椅子、その向こうに洗い場などが見えることから、ここが喫茶店であることを理解した。
「あの、」
「さ、お好きな席にどうぞ!」
 少女は男の言葉を遮ってその手を取ると、手近のカウンター席へ座るように促してきた。戸惑いながらも、その笑顔に押されるかたちで男は椅子へ腰掛ける。
「お客さま、大変申し訳ないのですが、当店はお代を先にいただいております」
「お代?」
 呟いて、お金のことだと気付く。
「持ってないな」
 申し訳なく思うが、持っていないものは持っていない。追い出されるかもしれないが仕方ない。そう思って少女を見ると、彼女は勢いよく頭を下げて「申し訳ありません!」と叫んだ。今にも消え入りそうな声で、「私まだまだ見習い!……あ、いえいえいえ、もう見習いは卒業したからこうやってお店を構えてるんですが、でもまだまだで、特にお客さまへのわかりやすい説明とかが本当に本当に苦手でですね……」
 白いエプロンを両手でいじりながら、必死で何かブツブツと呟いている。
 何をどう言っていいかわからず、無意識に少女から体を離そうと試みていた。と、少女が急に顔を上げた。口元は頼り無さげに歪んでいるが、目は怖いほどに真剣だ。
「お、お持ちの物があると思うんです」
「おもち?」
 男が何を想像したのかわかったのだろう。「うぅ」とうめき声のような泣き声のような声を漏らしながら、さらに顔を歪めたが、意を決したのか、じとっと男の目を見つめて告げた。
「えっと、貴方が持っている物が一つだけあるはずです! それがお代になるんです!」


――続きは本誌でお楽しみください――

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