『時計さん』 高村 暦

 革鞄から取り出した古めかしい懐中時計を、時計さんは、さもさも愛おしそうに中指の腹で撫でた。実は中を見たことがないんだ、開くところが壊れているらしくてね――と、時計さんは笑う。大人しく手のひらに収まった真鍮製の丸い小箱は、重々しく鈍い金色の光を放っている。
「開けないんですか?」
「開ける必要がなかったんだ」
 おじいさんに遺産としてもらったのだけど、もう、止まっちゃっているんだ。時計さんは説明した。
「聴いてごらん」
 耳に当てさせてもらうと、確かになんの音もしない。明治の頃の舶来品で、おじいさんも、そのまたおじいさんから貰った、ということだった。だからまた、孫におあげなさい、って。なのに名前は「時計」にしなかったんですね、と言うと「父はきっと嫉妬したのだよ」。
 そう、本当は「都慶」と書く(皆が慶ぶ、という意味らしい)のだが、みんなが「時計さん」というような声音で呼ぶので、たいてい時計さんの書く手紙の結びには、藪内時計、と書いてあるし、寒中暑中や年賀状の宛名にも、そう書かれることが多かった。時計さんは筆まめなので、やりとりも多い。しかし今はもうパソコンで入っているから、そうそう間違われないらしい。ちょっと寂しいね、と、時計さん。
 初めて聞いたときには、嘘みたいな名前だと思ったけれど、とけい、と自分でも口に出してみれば、これはなかなか響きがいい。呼ぶたび、聞くたびに、「時計」という小学生でも書けるやさしい文字と再会する。
 テストのときも、「時計」で書けたらなあ、とよく思ったものだよ――と、書類を書くにつけ《時計さん》こと藪内都慶さんは、苦笑する。確かに「藪」と「慶」は、だいぶん時間食い虫だったことだろう。
「でも、ずっと直さなかったのに、どうして今、直そうと?」
「旅に出ようと思ったんだ」
「旅に?」
 うん、これを方位磁針にするんだよ、と時計さん。
「時計を使うと、方位磁針になるんだ。日時計、というのがあるだろう。それと同じ仕組みだよ。日の出ているときなら、針と影を合わせれば、方角が分かるのだって」


――続きは本誌でお楽しみください――

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